名古屋城正門を入ってすぐの西の丸の広場に生育していて、数々の伝承から名古屋城が築城される以前から当地に生育していたものと考えられている。
慶長15年(1610年)の名古屋城築城の際に徳川家康がこのカヤの樹下で普請の指図を行ったとか、家康の子・尾張藩初代藩主徳川義直が慶長19年(1614年)の大坂冬の陣へ出陣の際にこのカヤの実を膳に盛り必勝を祈願したという伝承もある。
そこから「必勝榧の木」とも呼ばれ、尾張徳川家では正月の祝前料理に榧の実の料理が出されるようになったそうです。
推定樹齢600年以上、樹高16m、目通り幹囲8m、名古屋大空襲の際に被災したものの、その後奇跡的に樹勢回復しています。