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銘木とは

銘木とは

    1. 材面の観賞価値が極めて高いもの
    1. 材の形状が非常に大きいもの
    1. 材の形状が極めて稀なもの
    1. 材質が特に優れているもの
    1. たぐい稀な高齢樹
    1. 入手が困難な天然木
    1. たぐい稀な樹種
    1. 由緒ある木

引用元:(財)日本住宅・木材技術センター

一般銘木は決して高いものばかりではありません

一般に「銘木」から連想するのは、和室、茶室、床の間などの、純和風の高級住宅を想像される方が多いのではないでしょうか?

確かに、銘木の中には、高級で希少価値の高い品物もございますが、一般銘木は決して高いものばかりではありません。

価値観は人それぞれ違うもので「これぞ銘木」と思って、住宅にマッチすれば、それは立派な銘木ではないでしょうか?

現代住宅には和室がない住宅がほとんどです。

大金を使う事ではなく、日本伝統の和室、床の間に床柱、畳敷きといった日本人の「和」の感覚、安らげる空間を、決して高価ではない一般銘木で日本の伝統を次の世代に継承して下さい。

銘木は、産地・樹種・樹齢・希少価値・色・艶、大きさ・木目の美しさ、などで値段が変わります

一番わかりやすい例は、同じ材種、産地、直径でも、価値が10倍、20倍も差があります。

それは年輪の目が詰んでいるか、詰んでいないかです。

目が詰んでいれば、それだけ樹齢を重ねていて、木目や木肌がとても細かく艶があります。

逆に、目粗材は冬目・夏目の年輪が広く、乾燥と共に水分が抜け、材がやせたり曲がる恐れがあるからです。

「銘木は値段が合ってない」と言われますが、自然・偶然にできたものや、希少材は他の材とは異なり高くなるのは当たり前です。

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木曽五木について

桧・椹・翌檜・高野槙・鼠子の五樹種

木曽五木は、長野県の木曽地域で特に重要視されてきた五つの主要な樹種です。

これらの樹木はそれぞれ独自の特徴を持ち、高品質な木材として日本の伝統建築や工芸品に広く利用されてきました。

古くから森林の保護と育成が行われてきた

築城や武家屋敷などの建築用材として、江戸時代に入ると木材需要が飛躍的に高まりました。

そのまま無計画な伐採が行われ続けると、日本中の森林資源が急速に枯渇する危険がありました。

森林は天然の浄化槽(水源涵養機能)

木は根を通じて地面から水分を補給し、葉を通じてゆっくりと蒸発させます。

森林に積もった落ち葉や腐葉土は、海綿のような役割を果たし、水を浄化しながらゆっくりと川へ流します。

雨が降っても急激に川の水が増えず、また雨が降らなくても川の水が涸れないのは、こうした自然の機能があるためです。

このように、森林は水源を涵養する役割も果たしており、無計画な伐採は、河川の氾濫を招くだけでなく、水質にも大きな影響を及ぼします。

木曽川流域の森林は、尾張藩にとって重要な水源地でもあり、藩は対策を求められました。

尾張藩は木曽地域の特定の森林を「留山」として指定し、無許可の伐採を禁止しました。これがいわゆる御留山(おとめやま)制度です

それまで管理されていなかった木曽33箇村、裏木曽3箇村を尾張藩領とし、木曽川の上流(御岳山)での伐採が厳しく制限されました。

享保13年(1728)には、木曽五木を停止木(伐採禁止木)と指定した禁止令が出され、「桧一本、首ひとつ」と言われるほど、違反者には厳しい罰則が設けられました。

この時保護の対象となった五木が「木曽五木」と言われるようになった

こうした尾張藩の取組が諸藩に評価され、尾張藩同様に山々の荒廃に悩んでいた他の藩の模範となったそうです。

そんな尾張藩が管理している桧として「尾州桧」はこれまで以上に知られるようになったのだと思います。

今でも木曽桧が「尾州桧」と呼ばれるのは、その名残だそうです。

伊勢神宮1300年の歴史を支える桧

伊勢神宮で、20年に1度行われる式年遷宮では、約1万本の桧が用いられそうです。

その桧を伐り出す山は「御杣山」(みそまやま)と呼ばれ、かつては伊勢神宮の裏山がその本来の役割を担っていました。

しかし、次第に適する木が得られなくなったため、鎌倉時代以降は他の場所に移り、江戸時代には木曽が御杣山となりました。

伊勢神宮の御用材として、木曽桧は江戸幕府御用林(尾州藩)から調達され、木曽川を下り伊勢湾へ搬出されていったのです。

いま、伊勢神宮の裏山を、本来の「御杣山」として復元しようと植林が行われていますが、まだまだ80年~90年生なので、御用材になるまでには100年以上かかる計画だそうです。

伊勢神宮1300年の歴史は、桧が支えてきたといっても過言ではないでしょう。