桧・椹・翌檜・高野槙・鼠子の五樹種
木曽五木は、長野県の木曽地域で特に重要視されてきた五つの主要な樹種です。
これらの樹木はそれぞれ独自の特徴を持ち、高品質な木材として日本の伝統建築や工芸品に広く利用されてきました。
古くから森林の保護と育成が行われてきた
築城や武家屋敷などの建築用材として、江戸時代に入ると木材需要が飛躍的に高まりました。
そのまま無計画な伐採が行われ続けると、日本中の森林資源が急速に枯渇する危険がありました。
森林は天然の浄化槽(水源涵養機能)
木は根を通じて地面から水分を補給し、葉を通じてゆっくりと蒸発させます。
森林に積もった落ち葉や腐葉土は、海綿のような役割を果たし、水を浄化しながらゆっくりと川へ流します。
雨が降っても急激に川の水が増えず、また雨が降らなくても川の水が涸れないのは、こうした自然の機能があるためです。
このように、森林は水源を涵養する役割も果たしており、無計画な伐採は、河川の氾濫を招くだけでなく、水質にも大きな影響を及ぼします。
木曽川流域の森林は、尾張藩にとって重要な水源地でもあり、藩は対策を求められました。
尾張藩は木曽地域の特定の森林を「留山」として指定し、無許可の伐採を禁止しました。これがいわゆる御留山(おとめやま)制度です
それまで管理されていなかった木曽33箇村、裏木曽3箇村を尾張藩領とし、木曽川の上流(御岳山)での伐採が厳しく制限されました。
享保13年(1728)には、木曽五木を停止木(伐採禁止木)と指定した禁止令が出され、「桧一本、首ひとつ」と言われるほど、違反者には厳しい罰則が設けられました。
この時保護の対象となった五木が「木曽五木」と言われるようになった
こうした尾張藩の取組が諸藩に評価され、尾張藩同様に山々の荒廃に悩んでいた他の藩の模範となったそうです。
そんな尾張藩が管理している桧として「尾州桧」はこれまで以上に知られるようになったのだと思います。
今でも木曽桧が「尾州桧」と呼ばれるのは、その名残だそうです。
伊勢神宮1300年の歴史を支える桧
伊勢神宮で、20年に1度行われる式年遷宮では、約1万本の桧が用いられそうです。
その桧を伐り出す山は「御杣山」(みそまやま)と呼ばれ、かつては伊勢神宮の裏山がその本来の役割を担っていました。
しかし、次第に適する木が得られなくなったため、鎌倉時代以降は他の場所に移り、江戸時代には木曽が御杣山となりました。
伊勢神宮の御用材として、木曽桧は江戸幕府御用林(尾州藩)から調達され、木曽川を下り伊勢湾へ搬出されていったのです。
いま、伊勢神宮の裏山を、本来の「御杣山」として復元しようと植林が行われていますが、まだまだ80年~90年生なので、御用材になるまでには100年以上かかる計画だそうです。
伊勢神宮1300年の歴史は、桧が支えてきたといっても過言ではないでしょう。